前回、天下平定のための新たな本拠を求めて
日向(ひむか)の高千穂宮を出発した
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)と兄の五瀬命(イツセ)。
征く先々の豪族を、順調に服属させて来たのですが・・・
事はそう簡単ではありません・・・
もうすぐ戦争が始まるんです!
前の話:神武東征① 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)、東へ!
登美毘古(トミビコ)の迎撃
槁根津日子(サオネツヒコ)を水先案内人として、さらに東へ進むカムヤマトイワレビコ軍団。
浪速之渡(なみはやのわたり)を経て、白肩津(しらかたのつ)までやって来ました。
白肩津(しらかたのつ)
大阪湾沿岸部のどこか。
あるいは、昔内陸に存在した、河内湖の沿岸部ではないかと言われています。
ここでもまた、地元の豪族が出迎えてくれ、平和のうちに服属するのでしょうか。
ところが・・・
「敵襲~!敵襲~~!!」
なんと、そこには 登美那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)の軍勢が待ち受けていたのでした!
カムヤマトイワレビコたちに、一気に緊張が走ります!
そして応戦するため、船に装備していた盾をとって陸に降り立ちました。
このことから、ここの地名は楯津(たてつ)となり、今では日下の蓼津(くさかのたでつ)と呼ばれています。
日下の蓼津(くさかのたでつ)
現在の東大阪市日下町あたりと考えられています。
カムヤマトイワレビコ軍、撤退す…
とうとう戦争が始まりました。
カムヤマトイワレビコたちは、敵と果敢に戦います。
しかし・・・
敵のトミビコの軍はとっても強く、苦戦を強いられました。
そして悲劇が起こります・・・
ヒュン!
ぐさあっ!!!
イツセ「ぐわっ!!」
なんと、敵トミビコの放った矢が、兄イツセの手に刺さってしまったのです。
イツセは、苦しそうにしながらこう言います。
イツセ「俺たちは日の神アマテラスの御子…、なのに日に向かって戦ったのが良くなかったんだ・・・」
カムヤマト「そうか・・・!」
イツセ「ここは一端引いて回り込み、日を背にして敵を撃とう。」
カムヤマト「わかった!」
こうして、カムヤマトイワレビコの軍勢は撤退し、大阪湾を南に回り込むように船を進めました。
そして血沼海(ちぬのうみ)にまで来たときに、イツセは矢傷を負った手を洗ったのでした。
血沼海(ちぬのうみ)
大阪府和泉地方の海?
五瀬(いつせ)死す・・・
さらに船を南に進めた、カムヤマトイワレビコとイツセの軍団。
紀国(きのくに)の男乃水門(おのみなと)という港に到着しました。
でも、矢傷を負ったイツセの状態が良くありません・・・
苦しみに苦しんだイツセでしたが
イツセ「卑しい奴に手傷を負わされて死ぬのか~!」
最後にそう雄叫びをあげると、とうとう死んでしまったのでした・・・
このことから、この港のことを 男乃水門(おのみなと)と言うのです。
イツセの墓は、紀国の竈山(かまやま:和歌山市和田)にあります。
大切な兄を失ったカムヤマトイワレビコ。
これから一体どうするのか・・・
つづく