前回、大国主大神の息子の事代主神(コトシロヌシ)に、あっさり国譲りを承服させた建御雷神(タケミカヅチ)たち。
しかし、これで国譲りが完了した訳ではありません。
これから、神様同士の死闘が始まります!
前回の話:神社の神様 国譲り神話④ 大国主とタケミカヅチの駆引き
登場!国津神最強の武神 建御名方神(タケミナカタ)
タケミカヅチ「他にもなんか言いたい奴はいるか!?」
大国主「そうなんですよ~。息子の建御名方神(タケミナカタ)にも訊いてみないと・・・」
タケミナカタとは、大国主とその妻の沼河比売(ヌナカワヒメ)との間にできた子で、
国津神ナンバー1の武神、とも言われている強い神様です。
ヌナカワヒメは、北陸の美しい女神さまでしたね。
さて、ちょうどその時です。
ちょうどタケミナカタがやって来ました。
なんとその手には、千人がかりでやっと引けるような巨大な岩を、まるで小石のように軽々と持っています。
タケミカヅチとタケミナカタの闘い!
タケミナカタ「俺の国でコソコソやってるお前は誰だ!」
タケミカヅチ「お前がタケミナカタか・・・」
タケミナカタ「俺様と力比べだ! 」
タケミカヅチ「おうさ!!」
タケミナカタ「まずは俺様が、お前の手を掴んでやるぜえ!」
がしっとタケミカヅチの腕をつかむタケミナカタ!
タケミナカタ「どうだ…って、ええ~~!?」
いきなりタケミカヅチの腕が、氷の柱に変化したんです!
氷の柱はさらに剣へと変わっていきます!
タケミナカタ「ちょ、ちょっと待て! 力比べって言ったろ!?」
タケミカヅチ「そうか~?」
今度はタケミカヅチがタケミナカタの腕をつかみました!
そしてタケミナカタの腕を簡単に握りつぶすと、投げ技が炸裂!!
ずど~ん!!
見事に投げ飛ばされたタケミナカタ、一気に顔が青ざめます。
タケミナカタ「ひ~~!! 殺される!!」
恐怖におののいたタケミナカタは、猛ダッシュで逃げ出しました!
すかざすタケミカヅチが追いかけます!!
逃げるタケミナカタ・・・!
追いかけるタケミカヅチ・・・!
追いかけっこはひたすら続き、
とうとう信州の諏訪湖にまで来てしまいました。
タケミカヅチ「観念しろ!」
タケミカヅチはそう言ってタケミナカタを殺そうとします。
タケミナカタ「俺が悪かった!お願い殺さないで!」
タケミナカタ「俺は二度とここを出ませんから~!」
タケミナカタ「父さんにも、兄にも背きませんから!」
タケミナカタ「地上界は、天津神の御子の命令通り差し上げますう~!!」
という訳でタケミナカタは命拾いし、これより諏訪湖の地から出ることはありませんでした。
神無月に出雲で開かれる、八百万の神様の集まりにさえ行かないのだとか・・・
建御名方神(タケミナカタ)は、諏訪大社の御祭神としてお祀りされています。
葦原の中つ国の国譲り
出雲に戻ってきたタケミカヅチ、改めて大国主に問いかけます。
タケミカヅチ「コトシロヌシとタケミナカタは、天津神の御子の命に背かないってさ。あんたの考えは!?」
ここまで来ては、大国主大神も観念するしかありません・・・
大国主はこのように言いました。
子どもたちの言う通り、私も背きませんよ。葦原の中つ国は差し上げましょう。
ただね、お願いがあるんですよ・・・
わたしもね、天津御子のと同じような、光り輝く宮殿を造りたいんです。
柱は地盤に届くほど深く挿し込んで、
千木(ちぎ)が天まで届くくらい高い壮大な宮殿!
そこに住めて、お祀りしてくれるなら、私は出雲でひっそりしてますよ。
私の180人の子たちも、事代主神(コトシロヌシ)が率いるなら、だれも背かんでしょう。
こうして大国主は、出雲の浜辺に立派な宮殿を建てました。
この立派な宮殿こそが出雲大社です。
ここに、国譲りは完了しました!
タケミカヅチとアメノトリフネは、天界に戻って国譲りが達成したことを報告したのでした。
おしまい
「国譲り」は史実に基づいた神話?
考古学の調査によって、昔の出雲には強力な軍事力を持った国家があったと考えられています。
つまり、同じ時期に大和朝廷とは別に、出雲の国があったんです。
実際の話、大和朝廷は日本統一を成し遂げています。
でも、その時代に大規模な戦争が行われた形跡は見つからないそうです。
つまり、大和朝廷は戦争することなく、出雲の国を吸収したのでは・・・
国譲りの神話は、実際にあった出来事なのかもしれませんね。
天まで届く宮殿(出雲大社)も実際に存在した!?
大国主大神を祀るために造られた、天まで届くような立派な宮殿 出雲大社。
その高さはなんと48mもあったのだとか!
ほんとかなあ・・・
まあ、神話だからねえ・・・
なんて思っていたらびっくり!
出雲大社の境内から、すごいものが発掘されたんです。
それは、直径が1.4mほどもある巨大な柱。
しかも3本いっしょに束ねられていました。
この柱は、西暦1248年に出雲大社を建てた時のものだろう、ってことなんですが、
この柱が見つかったおかげで
「大昔にも、本当に高さ48mの大社があったのでは!?」
と言われるようになりました。
神話って面白いですね!
つづく